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少女仮面


    『永遠の少女の仮面を被った化け物―――それは春日野』

老婆A:あたくしには嵐が丘が嵐が丘を訪問したように思えるのさ

  貝:何故春日野さんが嵐が丘なの?

老婆B:すてたパンツに聞いてごらん。

小説『嵐が丘』のなかで現世での恋の成就が成し遂げられなかったヒースクリフとキャサリンは、己の

肉体を求め、恋の成就を冀って荒野を彷徨う愛の亡霊である。

春日野もまた『永遠の少女』を求めるヅカファンにより己の肉体を奪われてしまう別の意味での悲劇の

ヒロイン? である。

唐十郎はここにおいて嵐が丘と春日野を、いやヒースクリフとキャサリンになぞらえて春日野という偶

像を描く。前出の老婆の台詞Aは、無論そのことを云っている。

ヅカファンにより形成された幻想によって生まれた『永遠の少女』春日野は、否が応でも永遠の少女と

して偶像を演じ続けなければならない。

春日野自身の肉体(実体)は、彼女たちヅカファンに奪われ呑み込まれてしまった抜け殻、亡霊である

が、彼女たちが春日野に返せるものなどなにもない。

だって、彼女たちは勝手に春日野という

永遠の処女である偶像をこしらえ、その幻想のなかで一生懸命育んだものに過ぎないのだから。

今となっては老いた春日野に返すことの出来るものなどなにもありはしない。

だが、春日野は確かにヅカファンの幻想によって己自身の肉体(実体)を喪失してしまったのだ。

春日野が演ずることにより彼女たちは夢見るが、その産物の偶像はあくまでも偶像であって、春日野自

身では勿論ない。彼女らは春日野を透して自分の理想である偶像をみていた。

それにより当の演技者である春日野を偶像が逆に呑み込み、春日野という実体はこの世から消え失せる。

『聖少女』という仮面によって本当の自分の貌を失ってしまうのだ。



そこに悲劇が生じるのであるが、春日野はやっと捨てたパンツがどれだけ大切なものであるかに思いいたる。

捨てたパンツとは、即ち生活の垢が染み込んだ汚れた衣。

つまり、自分自身であるその衣を春日野は、つまらぬものと捨て去ってしまったのだ。

人形と腹話術師の関係も春日野の悲劇になぞらえて語られる。

自分の人形とばかり考えていたものが、実は自分を超えて動き出し妻を孕ませてしまう。

これは、春日野=腹話術師、人形=偶像の図式となる。

真の実体である春日野あるいは腹話術師は、非存在の存在であるところの偶像あるいは、人形に取って代わられてしまう。

また、水道男は自分の過去を追い求める。

つまり自分自身を、自己の存在証明を求めることのカリカチュアであって、

男が水道を求めることは、自分を見失ってしまった春日野が自分とは何なのかを問うことと

同一の所作である。

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